2011年01月29日

噛み合えない人。

その人とは、ある個人的な仕事の関係で会った。初回の打ち合わせで、偶然お互いが知ってる店の話になり、まだあるんですか〜なんて言ったら、今度行きましょうなんて言われ、社交辞令だと思ったので、ぜひ〜と言っておいた。たぶん、仕事終わったらそれきりの人だと思ったし。

それが、わりとすぐにお誘いが来てしまった。まだ、初回から仕事はほとんど進んでいないのに。なので、ビックリしつつもムゲにはできなくて、夕飯食べるくらいならと思って行った。
その人は、業界のグチと同業者の悪口と、「自慢してるのかな?」と思えなくもないような話を盛んに言ってきた。そして、自分の個人的なことも少しは言っていたけど、その百倍こちらのことを根掘り葉掘り訊く。個人情報的なことは冗談ぽくごまかして言わずに済ませたけれど、限定された期間しか接することもないだろうと思っていたので、自分の経験談くらいは話した。
それが失敗だったのか。

その後、仕事が進行し出すと、仕事のやり取りの時に本題だけで話が終わらず、対面だろうがメールだろうが電話だろうが、どうでもいいことにすごくこだわって突っ込んで来る人だとわかった。

たとえば、そんなに急いでない部分の作業について、こちらは数日中にやるつもりで、向こうは今日中にできてくると思っていたとする。こちらは、その部分だけがどうしてそんなに急いでいて、なぜそこだけ重要なのかを聞かされてもいないし、その部分についてだけスケジュールを言われたわけでもない。
とにかく、お互いにその部分を確認してなかったので、こちらだけが悪いということにならないと思うのだけど、一応謝る。すると、「あの時私が○○と言ったのは、そういうことだったのですよ」と言ってくる。どう考えても、その時点でこういうことを想定していたと思えないし、百歩譲って向こうが想定して言っていたとしても、こちらに伝わってるわけがない。今の時点で言われてさえも、あれとこれが関係あるのか?ってピンと来ないのに。
しかたなく謝ると、私がその部分のスケジュールを何も言わなかったから悪い、というふうになってしまったようだった。「だから、どうしてその部分だけ??」という疑問は拭えないまま。そんなに大事なことなのに、自分がその部分の重要性を言わなかったことは棚上げだ。。。

仕事するからには多少関係を密にしたいということで食事に誘ってくれたのならいい人だなぁと思って、こっちのことをいろいろ訊くのも、仕事相手をよく知っておきたいということかもしれないので、あまり深く考えないようにしていたけど、ちょっとメンドくさい展開になってきたなぁと思った。つまり、意外にヘンな人かもしれない、と。

さらにわかってきたことは、その人は人の話をあまり聞いていない。しかも、理解してないし覚えてない。前にも訊かれて答えたよね?ってことを、数回訊いてくるだけでなく、前に間違ったことを言われてそのあと訂正したのに覚えてないみたいで、訂正前の記憶だけでモノを言ってきたりした。

そんなチグハグなやり取りが続くとお互いにストレスになってきて、イライラすることが増えた。もちろん、こちらは立場上冷静を装って淡々としてたのだけど、途中から、向こうの口調にトゲが感じられるようになった。スレ違いや行き違いの多い状態が、私のせいになっている。私は精一杯、つど誤解を訂正したり、相手に合わせて努力してるつもりだけど、自分のことしか見えてない人なんだなぁと思う。
そして、人の言葉尻をつかまえては、いつもの決め台詞「あの時○○って言ったのは、そういうことだったのですよ」「だから、○○と申し上げたんです」。
でも、全部、後付けな気がする。それに、言葉はていねいだけど、必ず上から目線。

これが、仕事の部分だけの話で終始するならまだガマンするけれど、途中から、私の人間性を評価するような言葉がくっついてくるようになった。
前例に合わせただけで「何ごとも過去に縛られ過ぎてるからこういうことになるのではないですか」。どう考えてもあちらの理解が足りないのではないかと思うところで「あなたは難解な人なので言ってることがわからないことが多いです。私はそういう人は初めてなのですよ」。
私が仕事に関係ないので答える必要がないと思ってスルーしたことに、「あなたを理解したくて訊いているのに、猜疑心が強過ぎます」。

は?どこが関係あるの??って思うことばかり。たぶん、食事の時やまだこの人の厄介さがわかってなかったころにしゃべってしまったエピソードを結びつけて、こちらに非があるというふうに話を持っていくための材料に使ってるのだと思う。

で、ついに、仕事の話は半分で、後半は私のことが延々と分析してあるというメールが来た。これには驚いた。
こっちも、今までのやり取りではできるだけ言わずに済ませてきたけど、今回は書かせていただきますが、私たちのような間柄でそういうことにまで言及するのは、あまり気分の良いものではないと、言葉を選びつつ言ったけど。
っていうか、親しければ親しいほど気を使って言わないようなことまで、単なる仕事の関係なのに、書いてあった。

こんな人、こっちこそ初めてなんですけど。なんだか、超一流の人とばかりつきあってるようなこと言ってたけど、疑わしい。まぁ、一流の人の側が、その人がヘンであってもどこ吹く風って感じで適当に流してるのかもしれないし、その人が一流の人が相手の場合と私の場合では、態度を変えてるのかもしれない。

うまく説明できないのが歯がゆいのだけど、一番こわいのは、全部自分が正しくて、まったく非がないと思ってるだけならまだしも、それを常に証明しようと手ぐすね引いてるようにも感じとれる不気味さ。どんな場面でも、こちらの言葉尻を巧みにとらえては、自分の整合性を示すことを必ず書いてくる。なんで今その話?みたいな感じで、何日も前のことと結びつけてきたりもする。

また、人の言うことの真意をねじ曲げ(?)たり、大げさにとらえたりするので、こちらが「そこまで厳密に言ったわけじゃないです」と訂正したり、「でも、こういう場合は違います」と、言わなくても普通ならわかりそうなことをいちいちあとから説明しなくてはならないことも多い。小学生みたいに「じゃあ、これとこれはどう違うんですか?」とか、わかり切ったことをイジワルで突っ込んでるとしか思えないような、笑っちゃう質問も来たりする。

「〜なのですよ」口調も、最初から違和感はあったけど、ここまで来ると、あぁ、自分がすべて正しいってことの現れなんだとわかって、陳腐に思えてくる。
しかも、時々、「(笑)」がついてくるところが、ゾッとする。これが、糸井重里さんに絡んできた人を思い出させる。確か、その人もニコニコの顔文字をつけてたことが多かったから。

で、現段階で、私は「あなたのことはかわいそうな人だと思っています」と書かれるところまで来ている。私の考えや思いや言動行動は、すべて、過去の体験から来てるそうでーす。希望は、現在と未来の中にあるそうで〜す。そして、私はネコを飼っていたので、ネコっぽいそうです!(珍しく、それだけは当たりか!?)

なんでそうなるかな。。。

この週末でこの仕事も抜けるのだが、「次、仕事があった時あなたはどうしたいですか?」って訊かれたので、もちろん答えは、「喜んで、ご遠慮申し上げます!!」。(もちろん、礼をわきまえて書くけど)
こんなことまで言われて、全然割りに合わない仕事をまたする人なんて、いないのですよ!!(笑)



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2010年03月21日

死の恐怖。

この前、海外ドラマを見ていたら、自分の身内を拷問するというか、痛めつけるような場面があって、ドラマではそういうシーンなんてよくあるし、よく見てるのに、その時に限って、突然、足がすくんで動悸がして来た。

その痛みや恐怖とか、自分はこれで死ぬんだなという妙に冷静に外から見てるようなあきらめとか悟りみたいな気持ちの混ざり合った感覚をリアルに思い出して。

自分が死ぬと思った瞬間は、大事小事あわせて何度かあるけど、忘れているんじゃないかとか、克服できてるんじゃないかとか思っていても、こんなになってから、フラッシュバックすることなんてあるのだろうか?
それとも、たまたま神経過敏状態だったのかちら。。。

posted by 3号 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

生き延びる。

相変わらず、ハローワークにはそれなりの給料の求人がない。
こんな額で大丈夫な人って??
おそらく、共働きの人か、親元にいて、親に渡す多少の生活費と自分の小遣いくらい稼げればいいという人か。

資格要件も、この前見た求人一覧では、普免のほか、簿記2級以上がいくつか目につきました。
んーむ。。。

そんな中、先日、古くからの友人から、早朝、SOSのメールが。
企画書書くの手伝ってくれということで、その日のうちに車の中で打ち合わせとアイデア出し。締め切りも当日中という過酷さ。
なんと、多忙で手が回らないからという事情で、ポケットマネーから高級ディナーをおごるからという個人的な頼みだったのでした。
その高級ディナーの予算を聞いて、交渉の末、それより低い額でいいからと、現金でいただくことに。

その足でさっそく、スーパーに1週間分の食料を買いに行きました。。。

1回の高級ディナーより、1週間x三度のメシだ!
posted by 3号 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | できごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

就職戦線、異常。

ハローワークに行っても、おそろしく給料の低い求人が多い。
たまに、それなりのがあっても、募集1名。しかも、相談窓口に訊くと、何十人とか、募集期間が長いと100人以上が応募してる状態。そんな中、年齢が若くはない私は、書類選考の段階で、圧倒的に不利。面接にこぎ着けない。

もっと、自分にビジネスの才覚と元手があったら、自分で何かを始めた方がいいのでは?と思う、昨今の求人状況。。。

時々、具体的に考えてみるものの、元手がないのは置いといても、起業は勇気がいる。自信もない。
そもそも、以前から自覚していることは、自分は、誰か意志を明確に持った人が先頭に立ち、オモテに出てくれるような環境で、その人をサポートするのが好きなのだ。
小学生のころも、発言内容を考えてほかの子に言わせてたりしていた、とにかく目立つのがキライで、一歩引いたところにいたい子供だった。
場合によって、どうしても先頭に立ってやれと言われてやったこともないではないけど、それはとても苦痛なことで、やりたい!と言う人がいると喜んで譲ったし、1や2といったポジションじゃなくても、誰かとかぶる時はどうぞどうぞとなりがちだった。
ズルいのか、気が弱いのか、臆病なのかよくわからない。

なんとも八方ふさがりな感じの中、去年、会社が倒産するまで、その財政状況などをつぶさに見て来たこともあり、ヒマなうちに経理的なことをもう少し専門的に勉強しておこうかとか、会社の経営を学ぶにはどういう勉強すればいいのかとか、そんなことを最近思う。
どうせ勝ち抜けそうもないハローワーク戦線とはいえ、応募用件に要普免が多いことから、今さらながら、もしお金の余裕ができたら、免許も取った方がいいかもとか。

っていうか、いったい私は何になろうとしてるのか!?
posted by 3号 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

沈むな。。。


このところ落ち込んでいたら、友だちが海へ連れ出してくれました。

サンセットを見ながら、人生を語り合い。。。

健康診断で引っかかった。この先、生きていてもいいことがある気がしない。むしろ、このまま流されてたら、トシとともに、どんどんさびしくなる一方。経済的にもちゃんと生きて行けるかわからないし、親が死んだら一人ぼっち。
だから、病気でいっちゃっても、いいや。。。と思った。
友だちの方からも、そんな発言が出て…。

でも、精密検査の結果はセーフで、とりあえずはよかった…なのだけど、と。

もう、そんなこと言わないで元気出そうよ。
って、私を慰めるはずが、いつの間にか、こっちが慰めてる。

でも、気持ちわかるなぁ…と思ってしまう自分もいる。

まわりには、幸せそうなカップルや夫婦や家族が、やはり落日を見ようと集まっている。

その人たちと自分の差は、いったい何なのだろう。
それとも、私たちも、ハタから見ると楽しそうとか、幸せそうに見えるのだろうか。。。

いや、幸せそうになんて見えなくていい。
どう見えるかではなく、本当に幸せでありたいのだ。

私たち、どこかに忘れ物して来たのかな、落とし物して来たのかな。
でも、きっと、取りに戻ってももう遅い。
この先に、宝物を見つけなくては。

なんとなく、パァ〜っと明るく帰って来るというわけにはいかないサンセットツアー。
夕日と一緒に気分も沈んで、でも、それでも生きて行かなくてはなりません。太陽系を飛び出すくらいの意気込みで。。。
posted by 3号 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月11日

清水由貴子さんの自殺。


このところ、なんとなく、いや、ハッキリと落ち込んでます。
どうも、清水由貴子さんの自殺の一件が頭から離れなくて。つまり、これは将来の自分なのではないかという思いが拭えないのです。
まず、家族構成とか、家族の年齢構成とか、父が自分が8、9歳のころに亡くなってるとか、独り身であるとか etc. …が似ている。
今は、親はまだ要介護状態にはなっていないけれど、病い持ちで、定期的に様子は見なくてはならないし、通院の付き添いも必要。

しかし、清水由貴子さんは、介護が大変とかつらいとか、そういうことだけで命を絶ったんじゃないのではないかと、私は思います。

たぶん、彼女には希望がなかった。
そして、心の中が、どうしようもなく孤独だった。

この二つだと思う。

希望がないことと孤独。
この二つが延々と続くと、生きる意味がどこにあるんだろう?っていう感じになるのが、私にもとてもよくわかる気がしてしまう。

本当に、たった一人、誰か心に寄り添ってくれる人がいれば、ここまでのことにならなかったかもしれないとも思う。

彼女は、親思い、妹思いであったにもかかわらず、取った行動の結果は最悪になってしまいました。
最後の最後に、わかってほしかったのかな。そうすることでしか、今の状態(希望がなく孤独)から抜け出したい、誰か助けて、という思いを、外に出せなかったのかも。

そして、妹さんは、こんな形でお姉さんに去られて、しかも、お姉さんがよかれと思ってしようとしたことの結果を引き受けて生きていかなくてはならない。その思いたるや。。。
妹さんがどういう境遇にいるのかよくわからないけど、せめて、友だちでも恋人でも伴侶でもいいので、支えになってくれる人がいることを願いたいです。


というわけで、自分は、どうするんだろう。どうなるんだろう。。。
と、ぐるぐるドツボの日々。
posted by 3号 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月18日

『女性学』

自分の半生のキーワード、3つめは「女性学」。

女性学なるものに出会った時、私はその言葉すら知らなかったと思う。

出会いは、偶然だった。
今思えば、ものすごく不思議だ。あんなにもひょんなことから、呪縛にも似た影響を受け続けることになるとは。。。

あれは確か、大学の1年後期か2年前期のことだった。
履修科目選択の時期に、私はある英文学講義を取ろうとしていた。女性の助教授が掲げていたテーマが、ちょうど私の好きな女流詩人だったからという理由だった。
初日はガイダンス。
講義室には、けっこうな数の希望者が来ていた。
しかし、先生は開口一番、テーマの変更を告げ、謝った。
その女流詩人を掘り下げるには、「女性学」を前提としてやる必要がある。とすると、詩人の背景を学びつつ、さらに詩の世界にも入っていくというのは、半年ではムリという結論に達し、今回は、女性学まででとどめたい、なので、女性学の原語の論文を読むというゼミ形式にしたいとのことだった。
先生が、興味のない学生はこの時点で退席してくれてかまわないと言うと、30人以上いた学生が、私を含めた5人を残して出て行った。女2人、男3人だった。

私はと言えば、「女性学」ってナニ?という状態。
みんなは、わかっていて拒否したのか、単にやりたかったことと違ったからなのか。

とにかく、これが詩人の世界につながるのなら、初日の話だけ聞いてみようと思った。というのも、ふつうでも、文学作品を掘り下げる時には、多少なりともその作家の人生や思想的背景を同時に知ることが大前提だろうに、そこまでで手一杯になるという「女性学」ってナンなんだ!? っていう気がしたからだ。

人数が極端に減ったので、先生は、自分の研究室で資料を渡すから、そのままそこでヒザを突き合わせてやろうと言った。
つまり、そういうことだ。
ヒザを突き合わせてできちゃうような小さなゼミ。それは、当時、女性学なんて知らない人も知ってる人も敬遠するような位置づけだったということの象徴だ。

文字通り、ヒザが触れ合うくらいの近さで、先生は私たちにいくつかの質問をした。
質問内容は、よく覚えていない。なのに、その問いかけを受けた時の衝撃は、自分の人生の中でも上位に入る異様な体験だった。
それまで20年弱生きて来た自分の価値観が、根底から崩れ去る音がはっきりと聞こえるようだった。

頭を短く刈った体育会系の男子は、とにかく怒っていた。封建的ともいえる価値観の持ち主みたいで、いちいち先生に反発していた。
もう一人、文系で、話のわかるようなリベラルタイプの男子の方は、受け入れようとしつつも、目を見開き、たじたじとしながら額に汗をかいていた。「価値観が360度変わりそうだ」と言ったほどの、動揺ぶりだった。
3人めの男子は、初日以降、姿を現さなかった。

法学部系のクラスから来ていた女子は、どうやら知っていて参加したらしく、すでに女性学論者(?)だった。女性の権利のために闘う弁護士になると言っていた。

私はと言えば、このような性格(って、どんな性格だ?)が、若さゆえにさらにフニャフニャしていたので、まるでスポンジだった。あの時の、自分の価値観が崩れ去ったという感覚は、すなわち、一発で洗脳されたと言ってもいいものだった。雷に打たれたみたいな衝撃が、むしろ、快感だったかもしれない。未知のものに出会った好奇心もあった。
以降、しばらくの間は見るものすべてに新しい見方をするようになり、違った視点で考えるようになり、当たり前のようにスルーしていたことにも、新たな疑問を持ち始めた。それまで、あまりにも何も考えてなかったということかもしれないが…。

今では当たり前に語られてることばかりなので、ここで女性学の内容を云々するつもりはない。ただ、出会った当時は、フェミニズムどころか、ウーマンリブという言葉さえ、知る人ぞ知るでしかなかった時代だったということを、私たちの衝撃の受け方でわかっていただければと思います。

当時、原語で読んでいたアメリカの女性学論文は、本当に最先端だったのだと思う。日本の世間で、同じレベルの話がなされるようになったと感じたのは、たぶん、ほんの10年くらい前だ。

日本でその一翼を担ったのは、好き嫌いは別にしても、田嶋陽子氏であることは、間違いない。彼女が出て来た当時、テレビで同席していた男性陣の反応が、私たちの小さなゼミの男性陣を彷彿とさせた。
まったく違う土俵にいる人にインパクトを与えるために、田嶋氏は、あえてメチャクチャ極端なことを声高に言っていたのだと思う。かえって反発を招いた面もあったかもしれないけど、その気持ちはわからないでもないと思って見ていた。
女性学を専門にした田嶋氏から見ると、相手の言ってることはかなり初歩的ないちゃもんで、歯がゆかったと思う。そもそも、最初はだいたいが噛み合ないのだ。

当の女性の側からの反発は、”専業主婦”だった。女性の自立を言う時、専業主婦の人はその生き方を否定されたように感じるらしい。
でも、女性学が問題にしていたのは、女性は家庭に入るべきという先入観から何の疑問も持たず、ほかの選択肢もあることを思いもせずに、ただ自動的かつ受動的にそうなっている女性の状態と、主婦業に社会的価値を認めず、その地位を低く見ている世の中なのだ。
一番得意なこと、やりたいことが家事であり、妻が主婦業を担うという合意が夫との間でできているのであれば、それは自分も納得して、主体的に生き方を選択しているということになる。そこで女性学が言っていたのは、専業主婦=家庭への隷属ということになるのでなく、主婦も社会人として精神的に自立し、経済的にも不利益を被らないように何らかの経済的自立が保証されるべき(その方法は議論の的になるのだが)ということなのだ。

思えば、西欧では、カトリックなどの宗教とも闘わなくてはならなかったのだろう。そんな外圧の強さのせいか、論文の中には、時に、過激なものがあったのも否めない。
たとえば、よく覚えてるのは、女性の生む権利、生まない権利や優生保護法などをテーマにした論文の中にあった、「ドングリはドングリであって、樫の木ではない」という記述はショックだった。
つまり、平たく言えば、胎児の人権を認めないということか。でも、ドングリとか言われると、ますます、大切な命のもとという気がしてしまう。
これは、今でも難しい問題だと思うけど、昔からこういうことで闘っていた人たちがいたのだという、一種感慨ではある。
女性の割礼という因習があるのを知ったのも、衝撃だった。

私たちは、ほどなく自主ゼミを作って勉強し、ジェンダーロールをテーマにした外国映画の自主上映を学内で行った。
男性が、ふだん暗黙の当たり前なこととして女性に求めてる役割を、ある日突然入れ替わって、自分が求められた時のテンヤワンヤを描いてるような、単純でわかりやすい映画だった。それを見に来てくれた人たちの新鮮な驚きぶりに、手応えを感じた。
自分は最後まで反対論者として参加すると意思表明してゼミに残っていた体育会系男子も、そんな活動を通して、むしろ、日常レベルでとてもバランスの取れた考え方をする人になっていったように思う。

私は、別の文芸系の部活や卒論のテーマに、女性学を盛り込んだ。
卒論はともかく、部活での風当たりはキビしかった。
先輩たちの猛反撃にあい、泣きながら帰ったこともあった。その時いっしょに帰った女子部員からも理解されてなかったことを知って、ますますショックだった。
彼女は、「だったら、やってみせて」というようなことを言った。
その言葉が、まさに無理解の賜物で、自分の無力を感じた。

女性学は、認知されたらされたで、次の段階に来るのは、強い女性が世の中を変えるくらいの勢いで何かを行動して、いわゆる「男性並みに」成果をあげることという誤解だったりするのだ。
もちろん、私だって、自分が何らかの行動を通して世の中を変えることができるなら、そういう能力があるのなら、そうしたいと思っていたのだが…。まさに、そういう部分で自分のふがいなさに葛藤し、悩んだ時期もあった。
けど、結局、自分はそんなキャラではないのだ。そして、まさに、女性学が最後に行き着くのも、男女の隔てなく、人が一個人として平等に尊重され、自分の個性・特技を生かして、自分らしく生きていける世の中の実現ということなのだった。
今は当たり前に語られてる、性差と性別役割の違い、男性も性別役割から解放されるべきで、女性解放はつまりは男性解放につながるという考え方、誰もが男らしさ女らしさに縛られずに、自分らしく生きる権利を持ってること、などが、当時、アメリカを中心とする女性学の流れの中にすでにあった。
でも、私の周りでは、せいぜい、「進んだ」女子を標榜するなら、肩肘張って背伸びしてでも、男子の中でも特に目立つ存在の男子と同等かそれ以上に活躍すべきで、そうじゃないと、「女子の権利?何それ?100年早い」みたいに、相手にもされないという世の中だった。
男の生き方として専業主夫もありなのと言っても、キョトンとされて終わる。当時の日本の感覚では、男性解放なんて、冗談にもならなかったみたいだ。

でもその後、行政に浸透し始めて、行き過ぎもあった試行錯誤の段階も終わって、今は、こういうのがまともなんだと昔思い描いていた姿に近づきつつある。


結局、私にとって、女性学は何だったのか。
一時期は、自分自身を自ら縛ったこともあったけど、自分の中に馴染んだ時には、なんて人間的で、道理の通った考え方なんだろうと、ひょんなことから女性学に出会ったことに感謝した。
人を見る時の社会的な偏見が取り払われ、性別を意識せずに人の個性を見るようになり、同じように、ハンデも個性と考えれば、障害を持つ方々に対する見方も変わる。人の多様な価値観や生き方を理解する。自分の生き方も型にはまらずに自由に選ぶ。
自分が、そんな理想どおりの人間になれているかどうかはあやしいにしても、ベースにこの理想を持ってるかどうかで、ちょっと違う。反省もできる。というふうではありたいと思う。

おもしろいことに、そのせいかもしれないと思ったこともあるのだけど、人を本能的に見てることがあるかもしれない。恋愛においても、社会的なことをあまり考えない方だ。もっと、ナマナマしい。
だから、逆に言えば、男性の経済力などの条件だけで結婚を決めたりもできない。

経済的自立ということに関しては、自分の母親を見ていて、専業主婦という生き方の危うさを思い知ってから、ことさら強く意識して来たけど、プー太郎となってみれば、何をか言わんやである。。。

逆に、あの時、女性学に出会ってなければ?
この考え方が一般的になるまでの空白のン年間、自分はどう生きていただろう。
もっと単純に、流れのままに、結婚していたかもしれない。
かつて、「子供」「子育て」について考え方がまったく合わなくて結婚しなかった人がいるのだけど、たとえば、その時、理想に走り過ぎたのは、女性学のせいかもと思わないでもなかったりする。

知った時の衝撃が強過ぎて、良きにつけ悪しきにつけ、女性学は厳然として私の中にある。そして、なんとなく、いつも人生とセットになってる気がする。
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2009年03月05日

『貧乏』(続きの続きの続き)

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2009年03月04日

『貧乏』(続きの続き)

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(続く)
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2009年03月03日

『貧乏』(続き)

都合により、非公開中。

(続く)

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2009年03月02日

『貧乏』

都合により、非公開中。


(続く)

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2009年03月01日

『父の死』(続き)

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2009年02月20日

『父の死』


人生において、急に旅に出たくなったり、同窓会をやたらとやりたくなったり、仕事をやめたくなったり、移住したくなったり…などなどする年ごろ、あるいは、その人なりのタイミング、というものがあるみたいだ。
そういう意味で、今、ヒマなせいもあるけれど、やたらと人生を振り返ってる私がいるわけで、前から漠然と考えてはいたところの、自分の人生の断片を書き記しておこうか、というタイミングが今なのかもと思う次第です。

自分の人生のキーワードは何だろう。
それを、人格形成に大きな影響を与えることになったこと、というふうに考えてみると、父の死、貧乏、女性学、とりあえず、この3つかと思う。

それなりに長くなるので、今日はまず、「父の死」、いってみよう。

と、その前に、すでに一度、大学生のころ、自分の頭の中を整理するために、このようなことをまとめて書いてみようと思ったことがあった。
でも、その時、肉親のことを文字という目に見える形にすることが、とても後ろめたい気がして、というか、身内を裏切ることのような感じがして、こういうことは、関係者が亡くなってから書くべきなのだろうと思って、やめた。心の中だけに閉じ込めておくのが、とてもつらかったのに。
今は、万一、こんなことを、こんな片隅にチマチマと書いたことを関係者が知ったとしても、許してくれるのではないかという気がしている。それは、あのころは、自分がつらいという思いで精一杯だったけど、今は、みんなもつらかったのだと思えるからかもしれない。

父は、私が9歳の時、突然亡くなった。
ある朝、ザワザワと人の出入りで騒がしいなぁと思いながら目を覚ますと、母が部屋に入って来て、私を抱きしめて「パパが…」と言った。泣いていた。
あとで知ったのだけど、くも膜下出血か何かだったらしい。
私は、その時、「父が亡くなった」という事実を頭では理解したつもりだったけど、それが実際どういうことなのか、今ひとつピンと来ないでいた。ちょっとは泣いたかもしれない。それよりも、母が泣いてるという衝撃の方が強くて(母は、涙を見せない人だった)、自分自身の感情をよく覚えていない。
そして、この時、私の兄弟はまだ赤ん坊だった。

葬儀は、自宅だった。
親戚はなぜか、私を父の遺体から常に遠ざけようとしていた。子供だから、と、思われていたからか。
それが、とても寂しかった。巧妙に遠ざけられながら、父の死、葬儀、そういうものが、どこか遠い出来事みたいに錯覚されるようになっていき、私はただただ傍観者みたいにぼんやりと眺めていた。その中でも、折々に見る母の泣く姿だけは、なお強烈に受け止めていたけれど。

父が白い骨になって出て来た時、係の人が、非常に珍しい骨(の形?)をお持ちの方だ、と、説明してくれた。よく覚えてないけれど、確か、首の辺りかそのへんの、きれいな形の真っ白な部分を手に取って、みんなに見せていた。
それが父の勲章のように思えて、誇らしかったのを覚えている。

前の晩までは、普通に元気だった父。
最後に交わした言葉も覚えていない。
次の朝には、まるでどこかに消えてしまった。
死に顔を見せてもらったことは、なんとなく覚えているけど、「人がいなくなるということの、形」みたいなものは、結局わからなかった。

葬儀のあと、私たちは、母の実家に引っ越した。父の実家も同じ地域にある。
私は、転校して来たばかりだった学校を、半年も通わずに去ったことになる。

まず、父の死が実際にもたらしたのは、父方の実家の、私たち家族、特に母に対する攻撃的な態度だった。死の責任も問われた。

子供だったので詳細はわからなかったけれど、いろんなことが話し合われたらしい。
私もいる時に、大人たちが言い合いになり、母が号泣したこともあった。祖母は、「子供の前で、やめなさい」と、オロオロしていた。
あとで知ったのだけど、長男の第一子で祖父母にとって初孫だった私は、なんとか母と離されずに済んだということだった。
もちろん、財産の件もあった。後の話によると、「だいぶ取られた」とのことだった。

とにかく、私には、その時のゴタゴタな風景は、ワケがわからなかった。それよりも自分にとって一番の問題だったのは、それなりのマンモス校から一変、全校生徒が30人に満たないという田舎の環境に、いかに馴染むか。
実際は、都会からの転校生は学校始まって以来という感じで、珍重されたせいか、わりとすぐに慣れたけれど、勝手が違い過ぎて、私にとってもすべてが珍しく(たとえば、ラジオ体操を第2までやるとか、複式学級だとか、猛吹雪でも学校が休みにならないとか、あらゆるもろもろ)、結局はそれなりに楽しかった。
ここも半年で去るということになった時、とてもとても悲しかったくらいに。

そうやって新しい環境に馴染み、楽しく過ごしてる瞬間、私は時々、父のことを考えた。どうして私は、今この瞬間、父が死んだことを悲しまずに、笑っているのだろう、と。
その時、そんなふうに感じたのは、父の死が消化できずに、実感も湧かずに、中途半端に胸に引っかかってるという状態だったから、と、今にして思う。
きっと、亡くなったその時と、その直後、もっと悲しんで、泣いて泣いて泣いておくべきだったのだ。

また、友だちと別れて引っ越して、私たちは、母の姉妹たち、つまり、おばたちと住み始めた。
女5人で、2LDK。
それも、それなりに楽しかった。学校では、おばたちの影響で、私がヘンなところだけマセ過ぎていると、担任が心配したらしい。実際、私は上のおばとそっくりで、二人で歩いていると、兄弟?と訊かれるほど。仲が良く、とてもなついていた。

でも、私は、父の写真を見た人が笑うくらい、父と似ているらしいのだ(自分ではよくわからない)。
父が亡くなったのに、自分はそんなことを人に感じさせないくらい(大人たちの配慮が奏効していたのだろう)、明るく楽しく暮らしていていいのだろうか。
ここでもやっぱり、時々、そんなことを考えた。

父との思い出は、きれいなまま、一種の憧憬のように、心の中にあった。父は、忙しい中でも、行事は大切にしてくれる人だった。
成長するにつれて、父親とは疎遠になるだろう。クリスマスが来たって、いっしょにツリーを飾らなくなるかもしれないし、ましてや、クリスマスの歌をいっしょに歌ったりなんて、しなくなるだろう。なのに、父との思い出、父といっしょにしたことは、もう二度とない、永遠に失われたのだという、さびしい思いがあった。
そして、それでも泣かない自分というものを、冷血漢のようにも感じた。

たぶん、私は、性格も父と似ているのだ。残業や出張ばかりで、母よりも圧倒的に接する時間が少なかった父の方に、私は本能的にシンパシーを感じていたのだと思う。
それが欠けてしまったのに、そのことをうまく飲み込めないままに、年月だけが何ごともなかったように過ぎて行った。
私と父。9年間だけいっしょだった。
それって、何だったんだろう?
などというふうにも思う。

やがて、私の中で、ある答えができあがった。

(続く)
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2008年02月13日

謝るだけじゃ済まない?(倖田來未発言について)

最近、地を出し過ぎて、謝ったタレントといえば、沢尻エリカと倖田來未。

沢尻エリカに関しては、素の彼女の様子が報道されるたびに、「1リットルの涙」を見て2リットル泣いた私の涙を、いったいどうしてくれるんだっ!?というくらい、ガッカリさせられました。
もちろん、女優の人柄が演じる役柄と違うということは、重々わかってるけど、それにしても、もうちょっとイメージを大事にしてもいいじゃないか…っていうか、そこまで素を出してしまって、わざわざ人としてキラわれなくてもいいじゃん、って思います。

そして、今回の倖田來未の羊水発言。
これも、涙ながらに謝ったらしいけど、謝ればいいってもんじゃない。もちろん、謝らねばならないのは当然なんだけど、この手の失言は、謝れば済むもんだと思えない私って、冷たいんだろうか。

失言って、得てして、ふだん思ってることが表に出てしまったものだと思う。場を考えずに、立場を考えずに不適切なことを言ってしまい、しかも周りに悪影響を与えたのなら、失言してしまったこと自体をまず謝らなければならないのは当然としても、ふだんそういうことを思っている自分というものをどうするんだ?


写真家の星野道夫が書いていたエピソードで、ものすごく大好きな話がある。
(言葉は正確ではありませんが)こんな感じ。

ある人に、たとえば美しい夕日を見た時、愛する人にそれを伝えるとしたら、どういう方法で伝えるか?と訊かれ、星野さんが、写真を撮るとか絵に描くとか言葉で表現するとか…というようなことを答えると、その人は、ボクはそれを見て感動したことによって、自分がどう変わったか、その変わった自分自身を見てもらうことで伝えたい、というようなことを言った。
というような話だった。

善くも悪くも、人が心底変わるってことは、そういうことじゃないか。口先じゃなくて、内面からにじみ出る何か。


失言した。謝った。許す。
それはそれでいいけど、倖田さんってそういうこと(35過ぎたら羊水が腐る)を心の中で思ってる人なんだな〜っていう印象を持ってしまった人たちをどうするのか?そう思わせてしまった自分をどうするのか?
誤った知識だったと訂正したことで、この発言の引き起こした悪影響の一つを解決したかもしれないけど、自分についてしまった悪印象を拭うためには、これからの活動、発言の一つ一つに、心底変わった自分の人間性を見せていくしかないだろうと思います。
けっこう、厳しい道かも。いや、世間なんて、こんなこと、すぐ忘れるんだろうか。
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2007年12月20日

日本人が英語がダメなわけ(続き)

やっと続きを書きます。
日本人が英語がうまくならないワケ。

これは、もう、特にテレビを見ていればわかるけど、そもそも日本人は「しゃべる」ことが苦手だと思う。自国の言葉をしゃべればいいだけの時に、うまくしゃべれてない人のなんと多いことか!
もちろん、友だちや家族など、親しい間柄ならペラペラしゃべってるけど、ちょっとでも改まると、途端に口ベタぶりを発揮。
テレビを見てればわかるって書いたのは、たとえば、街頭でいきなり呼び止められてインタビューされる人とか、スポーツ選手のコメントとかetc.
言語の性質もあるかもしれないけど、同じシーンで、外国の人は、日本人より何割増しかは多くしゃべってる。
それと、日本人のインタビューでは、よく、質問に答えてない受け答えがあります。もし、外国人とカタコトでも英語でコミュニケートしてる時に、こういうことが重なると、なかなか会話も弾まないのでは?と思っちゃいます。
(別に、インタビューにこだわらなくてもいいんだけど、馴れない外国語で会話する時に、特に、会話学校ではそうだと思うけど、質問して答えて、みたいな形式的な感じになりやすいので、とりあえずこういう話をしてるわけです。。。)
もっと言うと、日本人の一番の痛手は、しゃべる内容が少ないというか、物事を考えて、すばやく自分の頭の中でまとめるという習慣があまりないんじゃないか?
馴れない外国語で、しかも、何をしゃべるべきか内容がすぐに用意できないと来ては、上達も難しいだろうと思うところです。

こういうのは、英会話学校以前に、小学校のころから、人の質問をよく聞いて、自分の考えをまとめて、相手にわかりやすく伝えるという訓練をどんどんしないと、ダメなんじゃないかと思います。最近、やっとこういう話が教育改革の場で出てきてるようだけど、本当に、まずは母国語での訓練から始めるべきところでしょう。それと、ふだんから物事をよく考える習慣を身につける。小さいころからの家庭での親との会話って、すごく大切。もちろん、友だちとの会話も。
意見がぶつかり合うことで、すぐに友だち関係どーのこーのになって、いじめにまで発展しかねない今の若い人の状況って、日本人のコミュニケーション能力、あるいは、物を考える能力の発達を阻害してる気がしてならないです。だから、たぶん、将来的にも英語ベタな状況はなかなか改善していかないと思われます。

「空気を読む」というのは、昔から言われてることではあるけど、昨今これがものすごく、特に若い人の間で過敏に言われてるのも、場を乱す、仲間同士の居心地のいい予定調和的な流れを乱すことによって、「あの人ヘン」→いじめ(仲間はずれ)的な展開をお互いに恐れる「空気」があるからじゃないかと想像します。
友だち同士、若者言葉で紋切り型にしゃべり合うコミュニケーションしかしない人たちが、いきなり、大人の世界に入って、ましてや、外国語で外国人とコミュニケートしようったって、いかにもムリって感じ。
もともと横並びが好きで、ちゃんとした意見の発信をひかえがちな気質が、ますます歪んだ形で煮詰まってしまった日本人の若い子たちを見てると、つくづく、英語どころか、島国からは出られまいと憂えてしまう。そんな私も、典型的な日本人なわけだが。。。

多少横道にそれたかもしれないけど、最後に、話を「英語」そのものにもどします。
主語述語〜という語順の英語は、よく、「結論が先に来る」的な言い方をされます。
確かに、日本語は述語が最後に来るせいか、話す内容をある程度確固として組み立ててないと、一つの文章を話し始めた時の内容を、まったく締めくくってないようなトンチンカンな述部になって終わるという例がままあります。考えながらしゃべってるのか、なんなのか、よくわからないけど。
私の想像でしかないけど、英語のような語順で話す場合は、やはり、話す文章の全容というか趣旨は、最初にパッと頭の中でまとめられてるのではないかと思うけど、どうだろう。もしそうなら、日本語語順発想の日本人が英語をある程度スラスラ話すためには、英語語順モードに、思考回路を切り替える必要があるような気がする。
たぶん、(これも想像だけど)こういうことを意識して取り組むと、いくぶん英会話も上達しそうな気がするんだけど…っていうか、まずお前が実証しろって話ですね。すみませ〜ん

※こういうことをメソッド化した学校があったら、けっこうイケるんじゃないかな〜??
posted by 3号 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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